2014年10月10日金曜日

総主事コラム「こもれび」2014年10月

「芽吹きのとき」

木には希望がある、
というように
木は切られても、
また、新芽を吹き
若枝の絶えることはない。
(ヨブ記14章7節)

 130年前の1884年10月18日に、横浜海岸教会の5人の青年たちの祈りによって横浜YMCAは誕生した。
 初代会会長熊野雄七は当時、海岸教会の長老であり、横浜共立女学院の教師でもあった。大村藩(長崎)藩士出身で17歳の時、戊辰戦争で政府軍に参加し会津城を攻撃した。対する会津城中には、年が1歳足らずに白虎隊に加わることができなかった井深梶之助が政府軍と相対していた。明治維新以降、この二人は横浜で洋学、英語を学びキリスト教に触れ受洗し出会うことになる。
横浜YMCA創立より4年早い1880年に東京YMCAが日本で最初に創立されたが、井深梶之助は創立会員の一人だった。その後、横浜指路教会ゆかりのヘボン氏が創立した明治学院草創期に二人は共に働いた。敵対した二人が共に働いた生涯は興味深い。
 このような先達によってYMCAの礎が築かれてきた。創立2年目1885年の熊野会長時代に中区真砂町に英語研究会を発足。1905年には住吉町3丁目に、横浜指路教会が現在の地に移転後の教会建物を借館し仮会館を建設。その10年後に、現在の常盤町に初代会館を建設。1923年の関東大震災時には、両教会とも被災し、焼け残った横浜YMCAで集会をした記録が残る。横浜海岸教会は、現在修復91年ぶりに横浜YMCAで集会を続けている。
130周年記念礼拝は、このようなゆかりのある140周年を迎える横浜指路教会にて行われる。古きを訪ねて、新しい芽が吹き続けていく。
 年たちの人としての交わりを深め、差別や偏見を取り去る働きが最も重要である」とある。この先達からの思いをつないでいきたい。
(横浜YMCA総主事 田口努)