2011年4月4日月曜日

東日本大震災被災者支援活動報告②

横浜YMCAでは、東日本大震災による被災者を支援していくため、日本YMCA同盟による支援の一環として職員派遣を全国協力として行っています。3月28日(月)~4月4日(月)の8日間にわたり、青木信哉スタッフ、三上 淳スタッフの2人は、岩手県宮古市にある日本基督教団宮古教会を拠点に、教会の片付け・掃除、スタッフ・ボランティアの受け入れのための整備、地域からの支援についての聞き込みなどの活動を行いました。以下は2人からのレポートです。
3月29日、宮古教会の電気が復旧し歓声があがりました。緊張と驚きの連続でしたが元気に1日を終えました。避難所の状況や倒壊した家屋等の撤去状況、近隣商店や住宅の片付け状況、その進み具合に差があるように感じられます。市街地からの距離の違いや、被災者がご高齢であったり、家族構成の違いによるものです。ボランティアセンター立ち上げの段階から次のステップへ、特に行政では行き届かないニーズへの対応に力を注いでいきます。家屋の片付けをお手伝いさせていただいた被災者の方(家が傾いているため避難所へ避難されている方です)との信頼関係が築かれ、ボランティアセンターへ足を運んでくださり、食事準備のお手伝いをしてくださる場面がありました。単に片付けのお手伝いをさせていただくのではなく、被災された方々に寄り添い、コミュニケーションを深め、信頼関係づくりを大切にしなければと実感しております。また、新たなニーズをこうした関係性の中から得ていきたいとも考えます。被災地域に程近い市場ではほぼ通常通りと思われる営業をしている一方で、車で10分走れば今なお全倒壊したままのエリアが広がり、そのギャップに言葉を失いました。「がんばろう宮古!」の掲示を路上へ向けて掲示している店舗をいくつか目にします。復興に向けて歩む宮古の支えと少しでもなれるよう、現地で取り組みたいと思います。

3月30日、『がんばろう宮古』と店頭にはりだしている店舗が増えてきました。町に活気がでてきています。しかし、避難所生活や片付けなどを継続している皆様のストレスが目立ってきたのも感じられます。田老地区には、メンタル面をケアする部隊(沖縄からでした)も活動を始めるとのことです。支援を行っている私たちも気をつけていこうと誓い合い活動を行いました。宮古教会の前に積まれていた瓦礫やごみ、ヘドロの山が撤去されました。道が広がり道路が開通することは嬉しいことなのですが、生活していた家具や洋服などが運ばれる様子を見ている皆様の表情が忘れられません。一つひとつを乗り越えて、日常に戻るにも時間がかかるのだと強く感じました。しかし、ここでの出会い、お話、笑顔などを盛岡YMCAのスタッフが、まさしく全身全霊で教えてくれました。心より感謝し、明日からその想いを行動を願いを引き継いでいきたいと思います。
3月31日、復興への困難さと悲しみの現実に向き合う辛さは想像以上です。心を強く保っていなければ、流されてしまいそうになります。しかし、三上さん、青木両名とも元気だけがとりえです。センターに集う皆さんと共に支えあうことで心を強く持ち、元気に取り組んでおります。私たちの食事を、避難所に避難中の方(お一人)が用意してくださっています。1週間ほど前にご自宅の片付けなどでコンタクトが始まり、交流が深まり、センターを訪れ食事作りをボランティアしていただくまでになりました。センターに訪れていらしゃる間、心の痛みが少しだけ和らいでいるのではないかと思います。宮古の方々と交流することの大切さを感じます。町で作業中に、現地の方々から声をかけていただく機会も増えてきました。作業の手を止めてでも、お話し、談笑し、心の痛みを伺うことで寄り添い交流する場面を大切にしています。
しかし、日常離れした町の中で宮古の方々とお話し、作業し、被災地の現状にふれるたび、心が痛みます。しかし、宮古の方々は前を向き生活を取り戻すために立ち上がっています。復興への長い道のまだまだスタートです。私たちの何倍もの心の痛みを抱えられた被災地の方々に、現地であっても、遠くの地であっても、多くの人々が痛みを分かち合い、寄り添うように被災地を支える必要を強く感じています。
(富士山YMCA 三上 淳 ・ 三浦ふれあいの村 青木信哉)