「平和をつくる」
石に刻まれた家族の名に
涙を落とす祖母
なんの形見も残っていない石に
声にならない声で石をさすり
石をだきしめる
小さな声でとても小さな声で
「本当は話したくないサー」(中略)
人さし指の大きさの大きな傷
あごと左腕に残る戦争の傷あと(中略)
「ごめんね ごめんね」
と何度も何度も きたときよりも
石を強くさすり 石を強くだきしめる
ぼくはもう声を上げて泣いていた こんなに青い空に
こんなおだやかな沖縄に
戦争は似合わない
祖母のくしゃくしゃな涙も
似合わない(中略)
ぼくは車イスをおして
祖母のいのりを引きつぐ
戦争のない平和な国を
(大里北小六年 比屋根憲太)
今年も暑い夏、戦後65年を迎える八月がやってきた。国内で唯一戦場となった沖縄戦の戦没慰霊祭での昨年の平和のメッセージで読まれた詩だ。「ごめんね」と墓石をだいた祖母は、妹のために水を汲みに行っている間に爆撃で亡くなり、守れなかった想いを語る場面だ。風化する戦争の悲劇と事実をリアルに感じた孫の様子が伝わってくる。戦争を知らない孫が「何故こんなことが」そして「平和をつくる」ことへの思いを継承する願いが込められている。8月は、6日の広島、9日の長崎、15日の終戦記念日など過去の戦争の事実を知り、犠牲になった人々のいのちの叫びに耳を傾け、平和を求めながらも戦争を繰り返す人間の愚かさを知る時でありたい。そして、子どもたちと共に、平和をつくる一歩を踏みだしたい。
(横浜YMCA総主事 田口 努)